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春分の日に思うこと 魂の時間に限りがあることを知る

皆さま こんばんは。

玲月彩良(れいげつ・さら)です。

水曜日は寒かったですね。

真冬並みの寒さで、朝はボタン雪が降ってました。季節外れの雪が降った翌日の今日は春分の日です。

 

春分の日は、太陽が真東から出て、真西に沈み昼と夜の長さがほぼ等しくなる日です。

 

仏教ではこの世=私たちが生きる現世界とあの世=極楽浄土が一番繋がりやすい日とされていて、そこからご先祖さまのお墓参りをするようになりました。

 

また、繋がりやすい日ですから、今までの我欲や執着で重くなった自分を手放しで新たな自分にリセットし直すには最適な日とされています。

 

神様は邪念で重くなった魂を嫌い、軽くて素直な魂を好むからです。

 

最近、「魂の時間」という言葉を聞く機会がありました。

 

魂の時間とは、私たちが存在する人生そのものを言い表しています。

 

魂と言わず魂の時間と強調したのは、私たちの人生は限りがあること、時間は有限であることをその方は常に意識されているからだと思います。

 

私たちはこの世に生まれてきた瞬間から死に向かってカウントダウンしています。

 

生物である人間には、永遠の命はなく、いつか必ずどんな人にも死は訪れます。

 

魂の輪廻転生を私は信じていますが、それでも今世の記憶を持った魂が経験する時間は一度きりしかありません。

 

普段なにげなく過ぎている一秒一秒は、魂の時間を一秒一秒削っていることと同じで、その一秒一秒は過ぎ去った瞬間から、二度と帰ってこない大切な魂の時間です。

 

そんな限りある魂の時間を私たちは人のために使い、そして人から与えてもらいながら生きています。

 

人の大切な魂の時間を奪うようなことをしていないか。

 

そして自分の限りある魂の時間を奪われていないか。

 

私も年を重ねるからか、最近よく自分の残りの時間があとどれくらいあるかを考えることが多くなってきました。

 

自分の感情に鈍感な人は、決めきれずに結論を後回しにする傾向があるように思います。

 

その結果、問題の解決は遅くなり、無駄に魂の時間を消費することになります。

 

また、断るのが苦手な方も、自分の感情に鈍感な方です。

 

自分の断りたいという感情よりも、人に断る勇気がないことを優先しているからです。

 

残念ながら、誰にでも合わせることはできても、誰にでも好かれることはできません。

 

嫌なのに断れなくて引き受けてしまったからといって、頼まれた人や環境がすべてあなたを好意的に受け入れてくれるかどうかは自分以外の要素が決めることで、どうなるかはわからないのです。

 

本来の自分が望まないことで時間を使うことも、限りある魂の時間を無駄に消費していることにならないでしょうか。

 

私たちはスーパーマンでもなく不老不死の仙人でもないただの人間でしかすぎません。

 

人の命も、そして命に与えられた魂の時間は有限です。

 

魂の時間を無駄な消費する行為はすべて、自分を認めて受け入れていないことから発生していると私は考えています。

 

自分に自信がないから、そしてそんな自分を受け入れられないから、人は周りの評価を気にしたり、周りに合わせることで自分を安心させたりするのだと思います。

 

合わせることは、社会で生きる私たちの必須スキルですが、合わせることですべての魂の時間を費やすような生き方は他人軸の生き方であり、自分の魂の時間を大切に扱っていないと私は思います。

 

世界でたった一人の自分。

 

そんな自分を一番好きになれるような生き方こそが魂の時間を意識した生き方と言えるのではないでしょうか。

 

私たちの今世での魂の時間はいずれ終わります。

 

そして輪廻転生の中に組み込まれて、またその魂は新しい生をもち、また新たな時間が始まります。

 

春分の日の前日に季節外れの雪が降り、そして自分の魂の時間の限りあることを思い知らされる。

 

こんなことを考えてしまうのは、今日がこの世とあの世が繋がりやすくなっている春分の日の影響なのかな。

 

そうだとしたら、今世の私たちに対してのあの世の私たちの魂たちからのメッセージなんでしょうね。

 

自分は自分以外の何物にもなれないのだから、自分の足でしっかりと好きなように生きていきましょうね。